「回復を阻む最も大きな障害は、非現実的な期待を自分自身にも他人にもかけることのようだ」
ベーシックテキスト P.131
多くの仲間が、自分はかなりひどい状態でナルコティクスアノニマスにつながったと思っている。それに引き換え、ミーティング場で出会った回復者たちは、落ち着いていて、まるで神様のように見えたものだ。あれほど賢明で愛情にあふれているのは、スピリチュアルな原理にそって何か月も、あるいは何年も生きているからだろう。そして見返りを求めずに、自分がもらったものを次の人に手渡しているからなのだ。私たちは彼らを信じた。そして自分で自分を愛することができるまで、彼らに自分への愛情を託した。彼らならどんなことでもうまくおさめてくれるのだと期待を寄せた。
やがて、最初のころの回復の輝きが色あせ始めた。それにつれて、NAの仲間やスポンサーの極めて人間的な面が目につくようになった。ホームグループの仲間がデートをすっぽかした。コミティのときに二人のオールドタイマーが言い争っていた。自分のスポンサーにも性格上の欠点が一つか二つあった。そこで私たちは幻滅を感じる。回復者のアディクトだというのに、完璧どころではないじゃないか。それでも彼らを信じろというのか。
「回復のヒーロー」と「NAの最低のチンピラ」との間あたりが真実だろう。仲間のアディクトたちは、完璧にひどい人物でもなければ、完璧によい人間でもない。第一、もし完璧な人間だとしたら、このプログラムにつながる必要がどこにあるというのだ。仲間もスポンサーも、私たちと同じく、当たり前に回復している当たり前のアディクトなのだ。だからこそ私たちは、彼らの当たり前の回復の経験に共感でき、自分のプログラムにその経験を生かしていけるのだ。
今日だけ:仲間もスポンサーも、私と同じ人間だ。だからこそ、私は彼らの経験が信じられるのだ。